人生初のDNF
7年前の日記を突然思い出した。そのまま記します。
昨年に続き出場したドイツ・レバークーゼンでのEVL Half Marathon、8km手前で棄権しました。失意でホテルに戻り静かな部屋で今一人、いろいろな思いが巡って来ました。忘れないうちに書き留めます。独り言です。
棄権の理由は左膝痛です。どうやら前十字靭帯を痛めた模様、3週間前から痛み出しました。痛くて全然走れない日もあれば、最長8kmの朝ランを痛みなくこなせた日も。しかし行き当たりばったりで計画通り練習できず、週一回のスピード練習もままならず週末のロング走も恐る恐る。
走り始めて5年、故障知らずだった僕にとって初めての体験、かな。
このEVL Half Marathonは、1年半前に入った会社のドイツ本社が、自身も走るCEOの肝煎りで800人規模で参加する一大イベント。採用面接でランニングを自己アピールの材料にしていた僕は、入社して最初のスカイプ会議でボスから「6/10(昨年)は空けておいてくれ」と言われ招待されます。そうして出場した昨年は、トップから6分の大差をつけられたものの社内2位(約200人中)。昨年の実績を買われて今年も招待されました。
ただ、僕のタイムでも一昨年だとトップ、「あわよくば」がいつも頭の片隅にありました。会社トップになると、CEOから表彰される名誉に与れます。これを夢見ていた僕は春の最大目標をここに定め、膝が痛み出した後もDNSは少しも考えず練習不足でも痛みさえ出なければハーフマラソンなら押し切れる、そう考えていました。結果、甘かった。大甘でした。
走り始めてしばらく何ともなかった左膝は5km過ぎから少しずつ痛み出し、瞬く間にペースダウン。7km過ぎで歩き出し、また走るとやっぱり痛い。8km手前に待機していた救急車に収容され、DNF(= Did Not Finish 途中棄権)を決断しました。
DNS(= Did Not Start 最初から棄権)の経験は何度かありますが、DNFは人生初です。「DNFは一度やると癖になる」と考えていたのがその理由で、スタートしたからには結果に関わらずゴールする、それを自分の美学にしていました。
けれど、その初めてのDNFで思いがけずたくさんの人から寄り添われ優しくされ、「何なんだろう、これは」と思ったので、記憶が新鮮なうちに文字にしよう、そう思いました。
まずは救急車の二人。「どこが痛いんだ?」「冷やすか?」と、とても心配してくれます。互いに英語ネイティブでない同士、言いたい事を表現できない忸怩たる思いを僕が表情に出すと、笑って返してくれる。ゴール地点に搬送された10分、僕の正面に座った青年は「君、悔しそうだな」「来年また来いよ」と声をかけてくれました。いい奴だったな、あいつ。名前聞くのを忘れた。
次にゴール地点で待っていてくれたボス。「I expect you to win.」のメール文面が忘れられなかった僕は、彼に会うなり詫びます。しかし次の瞬間彼は「謝らなくていい、会えてよかった」「ケガは大丈夫か?」「来年また出よう」とまくし立て、ほろっとさせられます。
続いて次々に会った同僚3人、うち1人は仕事では「コイツ、うるせーな」としばしば思わせるStraightforwardな奴ですが、み~んな「仕方ないよ」「来年があるさ」と僕のDNFを責める言葉表情はまったくなし。
極めつけは、僕を見つけて「君をよく覚えてるよ」と声をかけてくれた初対面の人。名乗って僕に握手を求め、「君、去年は2位だったよね。僕はその1分遅れの3位だったんだ。」と言われ合点が行きます。「今年はDNFだった」と伝えると、「そうか、早く治してまた来年勝負しよう」と言ってくれました。横でずっと見ていたガールフレンドの表情も優しかったな。おまけに隣にいた僕の同僚は「君はもはやレジェンドじゃないか」などと気の利いた事を言ってくれます。
他愛もない心情吐露になりました。
少なからず1位になる事を期待され、それが叶わなくても上位入賞を求められて遠く日本から招待されたこの場で、僕のDNFを知って「何だよ」「ゴールしなかったのか」「ちゃんと調整しろよ」などといったリアクションを誰からも受けませんでした。そう言われた方が救われたかも。
「みんな優しいなぁ」「俺も人様に優しくしよう」としみじみ思ったのでした。
切り替えて明日からの仕事に力を尽くそう
一刻も早く故障を治してまた心置きなく走ろう
今日はたくさんの人に寄り添われて、心底そう思えた日です。

