糖尿病になりました
糖尿病になりました。
僕は健康を過信していました。
「俺は病気になんかならないよ」そんな事はありませんでした。
「たくさん走っているから」を言い訳に、暴飲暴食もストレスフルな環境下で糖分過多のお菓子摂取もたくさんしていました。
物事には因果関係があります、たぶん。
外資系化学原薬受託企業4社(米米英独)での仕事、常に数字結果を追い求め続けたシビアな34年がこの結果をもたらしたのかな、くらいしか原因が思い当たりません、今は。
その仕事、僕は5月29日で60歳になり6月からは定年後再雇用契約です。ドイツ本社から提示されたその条件は…
労働日半分(月10日)・給与半分 何と斬新な…
この提示から1カ月後、僕の組織で大規模な人員整理の敢行が発表されました。僕の待遇も、固定費を下げたい組織の思惑を考えれば納得できます。働かせていただけるだけで有難い。
発病で僕の体重は1カ月半で急減。減少が始まったのは再雇用条件提示を受けた時期(4/8)と一致するので、この精神的ストレスも発病の一因だったのかな、とも思います。
11年続けているトーストマスターズのスピーチで、勝てば全国大会のディビジョンコンテストに出場資格がない、とわかったのもちょうどこの頃(4/5)でした。あれにもガッカリしたなぁ。
加えて、昨秋~今春シーズンのマラソンはいつも身体が言うことを聞かず「なんかおかしいなぁ?」の繰り返しでした。スタミナがなく身体がいつも以上にいうことを聞かず、感覚より随分遅いタイムに愕然としていました。
病気になってしまったものは仕方ありません。前向きに考えよう&必ず治そう。
病人になって考えるところはたくさんあります、なかでも強く思うのは以下の3つ。。
僕は健康優良児だと”過信”していました。職務経歴書の健康状況には「極めて良好」とアピールしていましたし、実際34年間の社会人生活で病欠したのは片手で余るほどです。
娘の理紗も十数年前血液免疫系の難病にかかりました。僕の血統は遺伝的に免疫系が弱いのかも知れません。
一度だけでしたが、4年前にフルマラソンのサブスリーを達成できて本当に良かった。人生の記念塚。できないまま発病していたら、悔しくて発狂したかも。
病人になって以下が変わりました、Before & After。
体重 62kg→52kg 走っても減らない→走らないのに減る 高校生時の体形に戻りました。
体脂肪率 12%→5% 筋肉の半分以上が消えました、骨と皮です
懸垂 10回→2~3回 もはやイソップ
朝ラン ペース5min/km→6.5min/km 朝食前(脂肪燃焼減量のため)→朝食後(空腹で走ると目まいがする、筋肉をつけるため治療のため) 月走行距離 300km→100km
シリアスラン→ジョギング 還暦サブスリーの夢は潰えました。速く走ると目まいがします。今は42km完走できるかな。
しかしランニングは僕の人生の一部です。何があろうとこれからも走り続けます、絶対に。
Lifelong Volunteer の献血は339回で打ち止め。服薬しているので献血資格がありません。64歳まで続けようと思っていたのに、残念。
僕が用を足す頻度は常人の10倍くらいあり、身体中の筋肉タンパク質が尿に削られ排出される感覚です。
極度の便秘になりました。時に排泄に30分かかり、体力を消耗します。
スタミナがなくなりました。すぐ疲れてすぐ眠くなり、もともと早起きでしたが早いと2時頃目覚めます。
思考頭脳はあまり変化なしです。むしろ発病前より早朝にアイデアひらめきがあり、集中力もあります。
そして、起業します。
60歳になり会社業務は月10日になりました、ならばもともと65歳退職時にしようと思っていた起業を早めるチャンスが来た!と前向きに考え、本日6/2宇都宮税務署に開業届を提出します。
外資系に34年も勤めると、誰でもこんなポジティブシンキングになれます 笑
ただ、病人になってしまった事は事実、未知の原因は取り除きます。
さしあたりはガツガツした仕事の仕方をやめ、心穏やかに過ごす事が効果的な治療でしょうか。というのは本気冗談半々ですが、健康的な栄養のある食事を採り飲酒はほどほどにすればコントロールできそうな病気だな、と感じています。インスリンも1日3回注射します。
次にお会いする時はゲッソリやせた僕になっていますが、「大丈夫?」ではなく「元気ですね?」と声をかけてやって下さい。
はい、僕は元気です。